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3つの単語 短い話

この世で最も強い人間

過ごしやすい夜、と僕が言う時、それは厳しい冬の夜をやり過ごした先に迎えた春に対する歓待の気持ちが含まれている。公園を散歩する。真夜中に大きな公園を散歩する。都市の中枢に突如として現れた、そこだけ太古の時代にタイムスリップしたかのような公園を歩く。終電間際の駅から疲れ切った表情の人々が歩いてくる。池のそばのベンチで恋人同士が語り合う。ホームレスの老人は表情のない顔で行く宛もなく彷徨う。僕は缶ビールを片手に歩く。僕だって同じだ。行く宛などない。すれ違ったホームレスの老人が自分の未来の姿ではないなどと、どこの誰が断言できるだろう? 野球場の照明は落ちている。僕は一塁側のベンチに座って、缶ビールを飲む。暗闇に目が慣れてくると、三塁側に誰か人がいるのがわかる。僕は一瞬ドキッとするが、その人影はじっとベンチに寝転がったまま、動かない。きっと向こうも驚いているのだろう。僕が彼の、暗闇との調和を破ってしまったのだ。ピッチャーマウンドまで歩いてみる。スニーカーが砂利を踏む音がバックネット裏まで響く。アルコールの酔いが僕を大胆にさせている。三塁側のベンチで寝転んだ人影は、死体のように動かない。

 

近所に大きな公園と大きな図書館がある今のアパートに引っ越してきて2か月になる。窓の外は大学のキャンパスと隣り合っていて、ほとんど人が訪れることのない最端のサークル棟だから静かでいい。時折、夜になると警備員が見回りにやってくる。僕はそれをベランダからぼうっと見ている。警備員は建物の柱に掛けられたなにか(なにかはよくわからない。鍵のようなものか?)に触れ、納得したように頷くと、帰っていく。野良猫が通りかかる。原付のエンジンの音が切れる。どこからか微かに煙草のにおいがする。僕は過ごしやすい夜に、ベランダで一人、この先の人生について考える。答えが出たことはいまだかつてない。それでも考える。考えざるを得ない。考えないことが幸せだとは限らない。考えることは不幸につながりやすい。考えない人間はいない。考えない人間がいるのだとしたら、それはこの世で最も強い人間だということになる。無敵になることができる。考えないことによって、無敵になれる。

 

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