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ランダムワードライティング

3つの単語 短い話

一軒家 ロンドン 釣り

 一軒家のだだっ広いリビングに座って、自らの生きてきた85年もの歳月を始めから終わりまで思い出しているとちょうど1日が終わった。革張りのソファは年代物、私と同じように年を取り、こわばってしまった。まるで私の皮膚そのもののように。これが私の棺桶になるだろう。愛着があるのだ。日が暮れかけている。髭をさする。愛猫のステファニーが3日前から行方不明だった。いつものように朝の散歩に出かけ、昼には帰ってくるはずだった。庭の片隅には皿に乗った魚の切り身が放置されたまま、ハエがたかっている。すべての者たちが私のもとから去っていった。妻も、息子も。友人だって、遠く離れた場所へ旅立ったり、死んだりした。玄関のチャイムが鳴った。私はたっぷりと時間をかけてソファから立ち上がり、玄関へ向かった。「郵便です」若い女の郵便配達人が言った。「ありがとう」私は受け取った。私が若い頃、郵便配達は男の仕事だった。今では孫のような年齢の娘がそのような仕事を行なっている。私はそれを不思議だとも思わなかったし、ましてや悪いことだとも思わなかった。「猫を見なかったかい?」立ち去ろうとする郵便配達人の背中に、私は声を掛けた。女はきょとんとした顔で振り向いた。「猫?」「そうだ。茶色と白のまだら模様で、右耳が少し欠けている」女は視線を左斜め上に向け、しばらくのあいだ考えていた。夏が終わった。短い秋に向かって移ろいかけた庭先で、乾いた風が裸の枝を揺らしていた。「見てないですね」「そうか、ありがとう。呼び止めて悪かった」女は軽く首を振り、微笑みを浮かべ去っていった。郵便物の消印はロンドンだった。ロンドンに知り合いはいない。差出人の名前にも見覚えがなかった。しかし宛先は確かに私の名前、住所だ。私は首を傾げた。開封すると、中には便箋2枚分の手紙が入っていた。「こちらはまだまだ暑い日が続いています。調子はどうですか? リンディーがスカッシュの大会で3位になりました」それから手紙の主は、私の見知らぬ娘が勉強よりもスカッシュに熱中しすぎていることについて、また、私の見知らぬ父親の財産分与について、まとまりのつかない文章を続けた。「では、お体に気を付けて。本格的な冬に入る前に、そちらに伺う予定です」ロンドンよりも遥か北、この街の冬は恐ろしく長い。一度雪が降り始めたら半年は降り続けて、積もり積もった氷の壁で街を埋め尽くし、世間から隔離された陸の孤島と化してしまう。手紙をすべて読み終えてから、私は夕食の準備を始めた。明日は釣りに行く予定だった。湖が凍りつく前に、できるだけ食糧を調達しておかなければならない。私だけじゃない。それはステファニーのためでもある。彼女が長旅を終えて帰ってきた時、すぐにご馳走を出してやらなくて何が飼い主か。私は明日釣りに出かける。夕食を終えたら、倉庫から釣り竿を引っ張り出してこなくては。シチューが煮えた。ぐつぐつと湯気を立てる鍋の蓋を手に取り、皿によそいながら私は、私のもとからいなくなった人間たちと、見たことのないロンドンの街並みについて思いを巡らせた。