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ランダムワードライティング

3つの単語 短い話

地下鉄 オーガニック 魔術

 地下鉄の改札を抜けてホームに降り、電車を待った。私は鞄からホセ・ドノソの『夜のみだらな鳥』を取り出し、ページを捲った。やがて電車がやってきた。風が吹いて、ぱらぱらと幻想的な叙述がはためいた。ドアが開いた。私は乗り込んだ。そこで初めて、ホームはおろか車内にも客が1人としていないことに気が付いた。ドアが閉まった。電車は動き出した。私はがらんどうの車内で独り、電車の揺れによろめいた。ひとまずシートに座ることにした。こんな日もたまにはあるのかもしれない。私は文庫本の続きを読んだ。数分もすると、電車は次の駅に到着した。ドアが開いた。客は乗ってこない。私は後ろを振り返って、ホームの様子を観察した。特に変わった様子はない。ただ、人がいなかった。車掌の姿も見えない。ドアが閉まった。電車が発進する。私は再び文庫本に目を落とした。私の目的地はまだまだ先だった。これから乗客も増えてくることだろう。地下鉄は轟々と唸りを上げて都市の地下を進んだ。しばらくすると前方の車両から、ハイヒールを鳴らす甲高い足音が近付いてきた。私は顔を上げた。背の高い、派手な化粧と派手な服装をした女が歩いてきた。もしかしたら女装した男かも知れないが、私には判断がつかなかった。女は私の隣に座った。私は驚いた。車内はがらがらに空いているのだ。女は私に体をぴったりと押し付けるように座った。強烈な香水の匂いが鼻をついた。女は素知らぬ顔で、ヘビ柄のバッグからドライマンゴーを取り出して、食べ始めた。女はくちゃくちゃと唾液の音を立てながらマンゴーを咀嚼した。私は先ほどから同じ段落を繰り返し読んでは、頭に入ってこない文章に苛立ちを覚えていた。「おじさんも食べる?」女がドライマンゴーを一片、差し出してきた。私は咄嗟に断ろうと思ったが、機嫌を損ねると何をされるかわからないと思い、仕方なくそれを受け取った。「オーガニックだからさ、体にいいよ」女はそう言ってものすごい速度でドライマンゴーを食べ続け、わずか数秒で大袋のマンゴーを食べきった。私は匂いを嗅ぎ、特に異変がないことを確かめてから口に放り込んだ。砂糖漬けにされたマンゴーの甘みが口の中に広がった。次の駅に到着した。女が立ち上がった。私はその姿をぼうっと眺めた。女は去り際に、マンゴーの果肉でオレンジ色になった唾液を思い切り私の顔に吐き出した。嫌な臭いのする唾液で顔中がべとついた。ドアが開いた。女は降りていった。入れ違いで乗り込んできたのはおむつを履いた乳幼児だった。まだ自分で立つことすらできない、0歳児だ。それが1人、2人、3人……、ハイハイをしながら次々に乗り込んでくる。あっという間に車内は夥しい数の乳幼児で埋め尽くされた。電車が動き出すと、振動に驚いたのか泣き出す子が続出して車内は騒然とし始めた。私はいい加減我慢ができなくなって、赤ん坊を踏みつけないように注意しながら車内を前方へと移動した。運転手に文句を言おうと思ったのだ。1つ前の車両に行くと、そこはランドセルを背負った小学生で埋め尽くされていた。1つ前の車両に行くと、そこは制服を着た中高生で埋め尽くされていた。1つ前の車両に行くと、そこはリクルートスーツ姿の大学生で埋め尽くされていた。私はそれらを掻き分けてようやく最前の車両にたどり着いた。そこは裸の男女で埋め尽くされていた。彼らは飽きることなく延々と性行為を繰り返していた。私は憤慨しながら運転席のガラス窓を覗き込んだ。そこに座っていたのは白い髭をたくわえたホセ・ドノソだった。「これがあなたの望んだ魔術的リアリズムなのですか?」私はガラス越しに尋ねた。ホセ・ドノソは振り向き、ただ悲しげな表情をして首を振るばかりだった。