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3つの単語 短い話

人形 消毒 視線

 もしかしたら俺は人形なのかもしれない。そう思い始めたのは1週間ほど前のことだった。これといった確証はない。しかし日に日にその気持ちは強まってきていた。なんてことはない子供時代を過ごして、進学し、就職した。恋人がいた時期もあった。多くはないが友人もいる。自分が人形かもしれないだなんて、考えもしなかった。だがここへきて、事態は大きく転換しようとしている。もう少し正確に言い表してみよう。「もしかしたら俺は人形になりかけているのかもしれない」この言い方のほうがしっくりとくる。はじめに、食欲の減退があった。食事をとらなくてもよくなったのはありがたかった。事実、昨日は何も食べていない。水を一杯だけ飲んだ。飲んだそばから水は体外へと染み出した。へそに穴が開いているのだ。そこから漏れ出した。俺の体は水分すら必要としなくなった。それから皮膚が塩化ビニルになった。毛穴がなくなり、産毛が消え、あらゆるシワが見えなくなった。風呂に入るのが苦痛になった。皮脂や角質が出ないので石鹸で落とす必要がないのだ。試しに、消毒液を浴槽いっぱいに溜めて入ってみた。心地がよかった。生まれ変わったような気分だった。その気持ちよさは以前にも経験したことがあるような気がした。複数の記憶が頭の中に入り込んでくる。俺に似た、俺ではないが俺である大量に生産された瓜二つの俺の体が機械的に右から左に流され、消毒され、検品された。俺は人形になりつつあるのか? 数日前から職場で無視されるようになった。考えていることがうまく言葉に表せないことが多くなった。肘が動かしづらい。肘に節ができていた。間接をあらゆる角度に曲げることのできる、丸い節。膝にも、足首にも手首にも。俺は慌てて職場を飛び出して、トイレに駆け込んだ。ズボンの中に手を入れてみる。ペニスがなくなっている。股間には塩化ビニルのなめらかな表面があるだけだった。同僚も上司も俺の目を見てくれなくなった。俺は会社の外に出た。視線を感じる。ベビーカーに乗った子どもが俺を見て嬉しそうに笑った。散歩中の犬が足元に擦り寄ってくる。俺は携帯電話を取り出して妻に電話をした。妻は驚いた様子だった。俺は事情を説明しようとしたが、声帯が存在しないので声を出すことができなかった。妻が突然泣き出した。「やっぱり私、人形と暮らしていくなんて無理」電話は切られた。俺は携帯電話を耳に当てたポーズのまま、ガラスケースの中に収まっていた。通り過ぎる人々が俺の姿を不思議そうに眺めた。ひどく悲しい気分だった。思い切り泣きたかった。いくら悲しんでもガラス玉の目から涙は流れなかった。