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ランダムワードライティング

3つの単語 短い話

英才教育 時計 キャンディ

 間違いなくトニーは英才教育を受けたはずだった。それにもかかわらず、彼が彼女の舌を切り取って警察に捕まり牢屋に入れられたことを母親はいたく悲しんだ。そのように育てたつもりはない、と母親は面会室で叫んだ。取り乱す母親を見て、トニーは微笑んだ。「母さんがスーパーマーケットでアスパラガスを万引きしたところを見たことがあるよ。たしか5歳くらいの頃だったと思う」同席した刑務官が顔をしかめた。母親は顔を真赤にして、言葉に詰まった。それは紛れもない事実だった。刑務所で彼は来る日も来る日も、彼女の舌から吹き出る赤い血のことを思い浮かべた。毎日夢にも見た。同室の中国系三世の青年の肩には青いバラのタトゥーが入っていた。トニーは毎朝その青いバラに接吻をした。はじめは冗談だったものが、次第に欠かせない日課になった。青年はそのことで性的興奮を覚えたが、トニーは違った。時計が正午を指すと、場内にけたたましいベルが鳴る。昼食の時間だ。トニーは刑務所に入ってから髪を短く刈り込んだ。元々の頭の形がよかったからか、よく似合った。中国系三世の青年は若い囚人たちのリーダーである大男に性的な暴力を受けていた。トニーは見て見ぬふりをした。白身魚のスープに、引きちぎられたカエルの足が投げ入れられた。周囲の数人が笑った。青年はしばらくそれを見つめた後、スプーンで掬って口に入れた。そうしなければ、後でもっとひどい目にあうからだ。笑い声はさらに大きくなった。青年は鼻をつまみ、一息にカエルの足を飲み込んだ。外交官の父は四カ国語を話した。母はオックスフォード大学に勤める著名な生物学者だった。トニーは完璧な子どもだった。両親の手を煩わせたことなど、今まで一度もなかったはずだった。彼女の舌を切り落としたのはトニーがあることに気付いたからだった。「ボール、そっちに行ったぞ!」中国系三世の青年は名をエドワード・クワンといった。瞼の上に深い傷があった。いつも青ざめたような顔をしていた。昼食後の運動で若い男たちは日頃抱え込んだやり場のなさをひたすらぶつけるように走り、球を蹴った。ほとんど空気の抜けたボールは楕円形に歪んで、長いこと空中で弧を描いていたように思えた。太陽の光とボールが同期した時、トニーの目の前に赤い血しぶきが現れた。トニーはそれを手で払った。血しぶきはすぐに消えた。明日は父が面会に来るのだという。トニーが刑務所に入ってすぐ、彼らは離婚した。2人とも口を揃えてトニーのせいではないと言ったし、実際そうなのかもしれないとトニーは思った。「お前は何をやらかしたんだ?」先輩の囚人から必ず聞かれる質問に、トニーは素直に答えた。「恋人の舌を切り落としたんです」トニーは気付いてしまったのだ。この女は、俺をコントロールしようとしている。俺を子宮の中に逆戻りさせようとしている。だから彼は彼女の舌を切った。裁ちバサミで、厚手の布を切るように。空気の抜けたサッカーボールは熟れた果実のように柔らかかった。太陽の光を切り抜けて、やがて地面に落ちようとするボールを、トニーは目で追った。すると目の前を何かの粒が落下した。トニーは頭上を見上げ、それから、地面に落ちた小さな粒を拾った。キャンディだった。どうやら壁の向こう側から投げ入れられたらしい。いったい誰が? わからなかった。トニーは監視役の刑務官に見つからないように、包装紙を剥いてそれを素早く口に含んだ。ミルクとハッカの入り混じった味がした。まだ壁の内部に来る前、遠い昔に食べたことのある味だった。

マム、パパ、

 

 

不快、近い 鬱陶しいな 君の距離 眼鏡の上の 極小の蜘蛛

 

 

ロラン・バルト『喪の日記』。最愛の母アンリエットの死に際し、バルトが書き記した喪の作業について。僕は否応なくそれを自分の父に重ね合わせる。父はまだ死んでいない。しかしそれは近い将来の出来事として、宿命付けられている。それが病気というもののもたらす間接的な効用だ。負の効用といってもいい。そもそも病気に正の効用などがあれば、の話だけれど。

 

5月10日

この数夜は、マムが病気で苦しんでいるイマージュ――悪夢をみる。はげしい恐怖。

起こってしまったことへの恐怖に苦しむ。

ウィニコットを参照のこと。起こってしまった崩壊への恐怖。

 

普通、恐怖という感情はこれから起こるであろうことに対して発動する。ただ起こってしまったことに対する恐怖というのは、感覚のディレイだ。逆行でもなく、錯誤でもなく、遅延だ。ウィニコットは次のように言っている。

 

過去に起こったのは現象としての死であるが、確認できるような事実として起こったのではない。自殺によって解決を見つけられないだろうかと考えて人生を送る人は多いが、それは、精神にすでに起こってしまった死を身体にもたらすということなのである。自殺は答えではなく絶望の身ぶりなのである

 

父は末期がんで平均余命が11か月から13か月といわれている。約束されたその時点へ向けて、彼はいま精神と身体をゆっくりと近づけていっている。それは想像を絶する、残酷な作業であるはずだ。もはや人間の域を超えているとすら思う。神や仏のたぐいのような。

 

 

黙ってる 鉛筆にぎる 汗にじむ あのままどこか 逃げたかったのに

 

 

昔のことを思い出す。父との関係性について。10代の頃、大喧嘩をして1か月近く口をきかなかった期間があった。それ以降の僕に対する父の態度は決定的に変わってしまったのだと、最近になって感じる。あれは親子としての関係性を無理矢理に引き剥がして、他人のそれへと放擲する禁断の行為だった。父は死にかけている。もちろん、僕だって死にかけている。しかしそれらは同等の意味をなさない。科学技術の発展がもたらした故の、喪の前段階に父はいる。

 

 

やだやだやだ やだやだやだやだ やだやだやだ やだやだやだやだ 子どももおとなも

 

 

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シマウマ柄のシャワーカーテン

 

 

日曜日 夜、耳にした 声、ラジオ けっきょく今も わからないまま

 

 

変わらないことのよさみたいなものが重要視される風潮の中にあって、あえて変わっていくことの美しさについて思いを巡らせてみると、常に変わっていくこと、カラフルに、柔らかく、脱皮を繰り返すこと、それは軸がぶれているだとか、信念がないだとか、そういうたぐいの聞き飽きた陳腐な、月並みなクリシェを一蹴するための劇的な変貌であることが求められるが、しかし、第三者としての視点がそれに気付くことは決してない。あくまでも己の肉体、魂、そこのにみにて輝く変化(へんげ)の陶酔であり、むしろ、そのようにあるだけでいい。そこに他者の視点は介在しない。

 

常に柔らかく、カラフルに変貌していくことは自分自身に対して「さようなら」と「はじめまして」を繰り返すことだ。さようならは苦しい。はじめましてはしんどい。ところが月の裏側においてさようならは、心地いい。はじめましては、気持ちいい。総じて月に表も裏もない、と悟ることで我々は変化を通じて認知を超越する。過去の認知を脱ぎ捨てて蝶になる。でもそれは夢だ。胡蝶の夢を見た荘子と同じ、ひらひらと舞う蝶は自分であり、同時に蝶は蝶であるという覚めた意識を並列させながら、ただし、夢は一瞬の愉悦であり、まばたきの瞬間には再び繭に戻っている。はじめまして、と僕は言う。さようなら、と僕は言われる。

 

 

海の底 ゆらり寝ぼけた 宵の淵 ドアを開けたら 見てたシマウマ

 

 

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人の記憶から漏れてしまった景色の集積

 

 

ドライヤー お皿洗いの 最中に 聞き取れなかった あなたの言葉

 

ceroのVocalである髙城晶平さんは新曲『街の報せ』のミュージックビデオについて、Twitterで以下のようにコメントした。

 

 

すごくいい曲だし、いいビデオだ。

 

「もし」「仮に」 「例えば」ばかり 聞き飽きた 向かいのホーム 彼女はいない

 

景色をどのように切り取るのか、という問題が目の前に立ちはだかった時、それが過剰にドラマチックである必要はないのだとそれらは教えてくれる。例えば『街の報せ』のビデオであり、例えば詠み人知らずの短歌であり、あるいは、レイモンド・カーヴァーの短編作品でもある。

 

なんだっけ 記憶の底に こびりつく 良くも悪くも なかった想い

 

延々と脈々と続いてきた時間の中に定点としての自分がおり、そこからまた永遠と諤々と続いていく時間の端に景色がある。どの地点に向けて目を向けるのか、虹彩を開くのか? 僕はいま光の捉え方について話している。とてもそのようには聞こえないだろうが、たしかにそう確信している。

 

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57577

さっき雷すごかった。雨雲は通り過ぎた。

君からの 電話で起きる 澄んだ声 さっき雷 すごかったよね 

57577。

短歌というのはつまり音のダンスだ。ビートだ。しかし居合いでもある。セックスでもあるし、デモでもある。

デモでもさ ビートでもいい 君だけは セックスそして ダンスを踊れ

57577。

ブーメラン 渓谷 マクドナルド

 君が河川敷で投げたブーメランは3年後に戻ってきた。金持ちの叔父さんがオーストラリアで買ってきた、アボリジニのブーメラン。僕もそばで見ていた。君が思い切り投げると、ブーメランはぐんぐん速度を上げて、でもいつまでも曲がる気配がなくてそのままどんどん高度を上げて、空を飛ぶ鳥よりも高く、いつの間にか雲の隙間に隠れて見えなくなった。僕たちは不思議に思ったけど、特にそれ以上深くは追及しなかった。ブーメランはそのまま速度を上げ続けて、やがて光の速さを超えた。ブーメランは物質から現象へと変質した。アボリジニ作、カンガルーの彫られたブーメランは大気圏を通過する際に燃え尽きた。しかしブーメランがブーメランであることを止めなかったのは、それが持ち主のもとへ戻ることを存在意義の根幹としていたからだった。燃え尽きたブーメランは物質としてではなく観念として、宇宙空間で大きな弧を描いた。それは惑星ソラリスの軌道と一時重なり合い、衝突の危険性があったがすんでのところで回避された。ブーメランは冥王星の重力圏に最接近したあと、地球に戻るため引き返し始めた。速度はどんどん上がっていき、火星と木星の間をわずか1秒間で通過していった。3年後、君は物質としてではなく思想としてのブーメランを受け取った。3年前に河川敷で投げたことなどすっかり忘れていた君は、突如として形のない、思想としてのブーメランを受け取って心底驚いただろう。君は結局のところ、3年前に死んだも同然だった。あんな硬くて重いブーメランなんて投げるべきじゃなかったんだ。それは誰をも傷つけなかった。しかし思わぬ形で君自身を変えることになった。君はこの平和な国で、自然豊かな渓谷で、牧歌的な羊飼いとして一生を終えることになるはずだった。ブーメランが戻ってくる前は。あれから、君は変わってしまった。婚約者を捨て、羊たちを皆殺しにし、納屋を燃やし、政府に宣戦布告した。形なきブーメランが君の胸に刺さった。君は色のない血を流した。心ない罵声を浴びせられても、君は活動を止めなかった。昨日の夜、君が政府軍に拘束されたとの一報が舞い込んできた。政府軍がいかに血も涙もない連中であるかということは、この国の歴史が証明している。歴史は地続きとなって、現代から未来へと暗い影を落としていた。急がねば、君は政府軍の惨たらしい拷問によって殺されてしまう。僕は君を助けに行く。たった1人で。作戦は? ない。武器は? ある。20年前、マクドナルドのハッピーセット、おまけでついてきたグリマスのおもちゃで僕は戦うつもりだ。紫色で気味が悪いグリマス、しかしこれは物質としての武器だ。僕は誰の血も見たくない。でも戦いに武器は必要だ。だからマクドナルドのハッピーセット。理に適っている。君も賛同してくれるはずだ。無事助け出すことができたなら、僕たちは2人でマクドナルドに行く。今となってはもう、ドナルドも、グリマスも、ハンバーグラーも、いない。僕たちは1つのポテトを2人で分け合いながら、思い出話に花を咲かせる。待っていてくれ、もう少しで行くから。ブーメランは、僕の胸にも刺さっていたのだから。

天気予報 主語 コップ

 天気予報が大雪を報じていた。その日の朝に彼は生まれた。彼は大声で泣いた。赤ん坊は泣くのが務めであると彼の祖母は大いに喜んだ。彼はいつまで経っても目を開けなかった。彼は生まれつき目が見えなかった。そのことで何か苦労したかといえば、周囲の人間が思っているほどでもなかった。彼は目が見えなかったが、その代わりに、これから起こるすべての出来事を知っていた。彼はそのことに3歳で気づき、それ以降、目が見えないことを逆手に取って悪事を働いた。目が見えない者が未来を予知する能力を駆使して悪事を働こうとするなど、思ってもみないことだった。だから彼の悪事は露見しなかった。あらゆる悪事は、罪のない人々に濡れ衣を着せることで逃げおおせ、その利益を彼は思う存分享受した。彼の犯罪には主語がなかった。彼自身を含めた犯罪にまつわる主部は仮装の中に隠蔽され、壊された述部だけが結果として残り、それが人々の利益を損なった。彼はこれから起こるすべての出来事を知っていたから、誰とも心を通わせることができず、誰のことも好きになれなかった。それは一種の悲劇だった。目が見えないことそのものよりも、その代わりに与えられた能力によって、彼は幸せから程遠い場所で、一人、孤独だった。彼の母親は、彼がこれから起こるすべての出来事を知っていることを、知らなかった。父親も、兄弟も、後に生まれることになる彼の息子も知らなかった。彼は次々に犯罪を起こした。大きなものから小さなものまで含めると、彼の行ないだけで1つの国が消し飛ぶほどの悪事が積み重ねられた。やがてそれは地球規模にまで膨れ上がり、最終的に惑星を破滅に追いやったが、最後まで人々はそれが彼によるものだということに気付かなかった。惑星が破滅した後、何が起こるか彼は知っていた。これから起こるすべての出来事を知っている彼が、燃えつくされた森林を、汚染された土壌を、枯渇した河川を、人々の手から奪い取ったのだとしたら、彼にとってそれにまさる喜びはなかった。彼以外の人間が一人残らず消え去った惑星で、種子は再び複製することを望んだ。新たに芽吹いた種子は続々と交配を重ね、1つの共同体を作り上げた。共同体には序列が生まれた。彼は創世者としてその頂点に君臨した。その時にはもう、目が見えないどころか耳も聞こえず、両腕は失われ、内臓は壊死していた。それでも彼は大雪の日に生まれた子どもとして凍てついた精神を永久に溶かすことなく、沈殿した思考をかき混ぜて撹拌させた。彼の思考が種子たちの行動原理となった。それは遺伝子に組み込まれた呪いとして抜群の機能性を誇った。時折生まれたバグは抹殺された。バグは反乱を起こそうとしたが、そもそもバグが起こることを彼は知っていたから、あらかじめ対処しておけば問題はなかった。積み木を崩す、パズルを埋める、はんこを押す、コップを揺らす、時計を止める、核爆弾を作る、テレビを背負う、煙草を開く、カーテンを漏らす、雨を乾かす、帽子をかばう、鉄を贖う、嘘を燃やす、これらは彼が犯した罪の一部分に過ぎない。しかしそれがすべてだという者もいた。意見は平行線を辿った。結論が出る前に、惑星の地核は崩壊し、宇宙の端まで種子は拡散した。宇宙には終わりがあった。酸素がない、光がない、宇宙の最北端で彼はようやく知らないことを見つけた。それがどのようなものだったか、今となっては彼自身も思い出すことができなかった。